山歩きのベースとしている晩秋の奥日光の山麓は、紅葉の盛りも終わって静かさを取り戻していた・・足元の落ち葉を拾っては、これはブナ、これはミズナラ これはコナラ程度の知識で楽しんでいたが、そのうちに樹木の図鑑を見ても名前の判らない落ち葉がいっぱいになりお手上げ状態でイライラしてきた・・。そうだ! 帰りに日光植物園に寄ってみよう!あそこなら樹木に名前が付けられているので、落ち葉を見れば判るはず!・・。
その日光植物園の受付に置いてあったのが、植物学者の園長 館野正樹 著 「日本の樹木」 この本に・・なぜ人工林を放置してはいけないだろうか?といったことが、このように書かれていた・・
スギに限らず、人工林では人間による間引きが必須だ。これを行わないと、光をめぐる個体間の競争が激しくなる。競争が激しくなると、幹の肥大よりも伸長成長が促進される。通常、植物は風などのストレスに十分対抗できるよう、肥大と伸長のバランスをとって形を作っていくのだが、競争が激しいと背に腹は代えられない。伸長を優先させて徒長(樹木の枝や茎がいたずらに伸びてしまうこと)した幹は、降雪なので折れてしまう。このような人工林は使い物にならない。折れてしまえば使えないのは当然だが、折れなかったとしても、細い幹では柱にもならない。 そのため、人口林では間引きをして競争を緩和してあげなければならない。人工林では同じ大きさで同じ性質をもった苗が植えられるため、競争の勝者と敗者がなかなか決まらない。そのため、すべての個体が伸長を続けることになる。一方、自然林では発芽時期もずれるし、個体の特性も多様であるこが多い。こうなるとより速く大きくなれるものが勝者となり、負けたものは日陰になって枯れてしまう。これが自然間引きとよぶ。これによって面積当たりの個体数は常に低下していき、人工林でみられる際限のない競争は回避される。
リノベートニュースH27.6月号 □ホット一息コーヒータイムでこんな詩を紹介したことがある。
樹 続 吉野 弘 詩集より
人もまた、一本の樹ではなかろうか。樹の自己主張が枝を張り出すように
人のそれも、見えない枝を四方に張り出す。
身近な者同士、許し合えぬことが多いは 枝と枝とが深く交差するからだ。
それとは知らず、いらだって身をよじり 互いに傷つき折れたりもする。
仕方のないことだ 枝を張らない自我なんて、ない。
しかも人は、生きるために歩き回る樹 互いに刃をまじえぬ筈がない。
枝の繁茂しすぎた山野の樹は 風の力を借りて梢を激しく打ち合わせ
密生した枝を払い落す―と 庭師の語るのを聞いたことがある。
人は、どうなのだろう?
剪定はさみを私自身の内部に入れ、小暗い自我を
刈りこんだ記憶は、まだ、ないけれど。