題: 父に 江國 香織
病院という
白い四角いとうふみたいな場所で
あなたのいのちがすこしづつ削られていくあいだ
わたしはおとこの腕の中にいました
たとえばあなたの湯呑みはここにあるのに
あなたはどこにもいないのですね
むかし
母がうっかり茶碗を割ると
あなたはきびしい顔で私に
かなしんではいけない
と 言いましたね
かたちあるものはいつか壊れるのだからと
かなしめば ママを責めることになるからと
あなたの唐突な
-そして永遠の--
不在を
かなしめば それはあなたを責めることになるのでしょうか
あの日
病院のベッドで
もう疲れたよ
と言ったあなたに
ほんとうは
じゃあもう死んでもいいよ
と
言ってあげたかった
言えなかったけど。
そのすこしまえ
煙草をすいたいと言ったあなたにも
ほんとうは
じゃあもうすっちゃいなよ
と
言ってあげたかった
きっともうじき死しんじゃうんだから
と。
言えなかったけど。
ごめんね
さようなら、
私も、じきにいきます。
いまじゃないけど。