ポケット詩集 Ⅲ  童話屋

h2246-5.jpg題:  父に    江國 香織

 

病院という

白い四角いとうふみたいな場所で

あなたのいのちがすこしづつ削られていくあいだ

わたしはおとこの腕の中にいました

 

たとえばあなたの湯呑みはここにあるのに

あなたはどこにもいないのですね

 

むかし

母がうっかり茶碗を割ると

あなたはきびしい顔で私に

かなしんではいけない

と 言いましたね

かたちあるものはいつか壊れるのだからと

かなしめば ママを責めることになるからと

あなたの唐突な

-そして永遠の--

不在を

かなしめば それはあなたを責めることになるのでしょうか

 

あの日

病院のベッドで

もう疲れたよ

と言ったあなたに

ほんとうは

じゃあもう死んでもいいよ

言ってあげたかった

言えなかったけど。

そのすこしまえ

煙草をすいたいと言ったあなたにも

ほんとうは

じゃあもうすっちゃいなよ

言ってあげたかった

きっともうじき死しんじゃうんだから

と。

言えなかったけど。

 

ごめんね

さようなら、

私も、じきにいきます。

いまじゃないけど。