『 霧灯 』 から抜粋 R3.8.24 日刊自
父が亡くなってからしばらく経ったある日、父の元の勤め先から会報が送られてきた。ページをめくると、父の追悼が特集されていたので驚いた。
文化建造物の保存修復工事を統括していた父。ほとんど出張ばかりで、仕事のことはほとんど語らなかった父だが、追悼文には、在りし日の父の姿が後進の皆さんの追悼文に描かれていた。
『建物の声によく耳を澄ませることだ』と父は悩んでいる後輩によく説いていた。『最初は聞こえないかも知れないけど辛抱図よく耳を澄ましていると、そのうちうるさいほど喋るようになる。そうなったら一人前だ』。
この言葉をよんで、仕事に向き合う父の姿勢が分かったような気がした。
家庭では理想の父とはいかなかったようだが、代わりに多くの後輩を育てていたと思うと、どこか誇らしい気持ちになった・・。
」