「ラマザン」とは、イスラム教の言葉で“断食”のことと言われる。イスタンブールの大学に留学していたころ、同世代のイルラム教徒と知り合った。
「一緒にラマザンをやろう」と誘われた。「目的は? 断食に意味はあるの?」と私が質問すると、友人は「実際にラマザンをやりながら自分で考えるといい」と言った。
・・日の出の時刻までに朝食を済ますと、あとは夕方まではひたすら空腹との戦いだ。夕方になると、大きなテントに明かりがつき始め、縁日に出店のようなものが出現する
。そこでパンとスープとオリーブと干した果物の質素な食事が無料で配られる。一日中何も口にしていない身には、かつてないご馳走だ。
・・空腹は辛い。ひもじく、切ない。ラマザン中は普段食べ物に困るようなことが無い者でも空腹との闘いである。
そんな空腹の辛さ、貧困の辛さを分け隔てなく体験し、助け合いの気持ちを再確認する大切な行事が「ラマザン」だったのだ。
時計が日没の時刻を指すと、一斉に食事が始まる。パンとスープは私の空腹と心を満たした。 (文:破石 晋照 一部抜粋)