完全な敗北 文:藤波 洋香
私と母は仲の良い親子ではない。
どちらかとというと仲の悪い親子だと思う。それは性格が似すぎているからかもいれない。
どちらも自己中心的で、協調性に欠け負けず嫌いとなればうまく行くわけがない。
うまくいかない理由は他にもある。現在86才の母は、かつて中学校の社会科の教師であった。
子育て支援などという言葉のない時代に、母は私と弟を育てた。
といのは建前で、実際に私たちを育てたのは祖母だった。 母は祖母に子育てを丸投げしたのである。
母は、自分の子供よりも担任しているクラスの生徒のほうが大切だと公言してはばからなかった。
そういうだけあって、実によく生徒の面倒を見ていたし、又、生徒にも慕われ尊敬されていた。
しかし、母親としてはいろいろと問題もあった。高校生の弟は『我が家でいちばんデリカシーのないのはおふくろだ』という名言を残して姿をくらました。
時を経て母は退職してただの人となった。退職したあともよく教え子が訪ねてきた。
さらに時が経って母はアルツハイマー病を発症した。 足腰が丈夫で口が達者だが、やることは支離滅裂という病人になった。
『私は病気じゃない。誰にも迷惑をかけていないし、誰の世話にもならない』という母と
『いくら生徒に慕われたって、生徒があなたの老後の面倒をしてくれるわけじゃないでしょ』などと嫌みをいう私とのバトルは延々と続いた。
そうこうしているうちに、私の娘が大学を卒業することになった。私はぜひ卒業式に行きたいと思ったが、そのためにどうしても一泊する必要があった。
そうなると問題は母だった。自分の病気を認識していない母をショートステイに預けるのは、至難の業だったが、
友人の介護福祉士の『大丈夫よ、預けてしまえばなんとかなるわよ』とうい言葉に背中を押され、だましうち同様に母を預けた。
私は娘の晴れ姿を見て満足して帰宅し、母も無事のショートステイから戻ってきた。 後日、ケアマネージャーから母の『お泊まり会』の様子を聞いた。
その日、宿直のスタッフ達は、母が夜中にいなくなってしまうのではないかとかなりの危機感を持っていたらしい。
施設の責任者の女性は、一応帰宅したものの夜中に呼び出されるのを覚悟していたという。
そんな危機的状況を救ったのは、ひとりの女性スタッフだった。 彼女はたまたま母の教え子だった。
彼女は母の気持ちを落ち着かせるために中学校時代のアルバムまで持ち出して穏やかに母に語りかけたというのだ。
私はそのことを知ったとき唖然とし、完全に負けたと思った。
親子関係も時と共に変わっていきますね。