朝日新聞 4.16 天声人語から

詩人の島田陽子を知らなくても、大阪万博のテーマー曲『世界の国からこんにちは』は大勢が覚えていよう。1970年 三波春夫さんの声で流布した歌は、時代の応援歌そのものだった。

歌詞は公募で、島田さんの作が1万3千余通から選ばれた。1カ月ほど寝ても覚めても考え続け、ふと浮かんだ『こんにちは』で詩を組み立てた。 徹夜で仕上げ、当日消印有効のぎりぎりに投函したそうだ 。滑り込みセーフで国民的歌曲は誕生した。

島田さんの詩は大阪言葉が冴えわたる・・

女の子が、男の子のことを・・

あの子 かなわんねん

うちのくつ かくしやるし

ノートは のぞきやるし

わるさばっかり しやんねん

そやけど ほかの子オには せへんねん

うち しってるねん 

そやねん うちのこと かまいたいねん

うち 知ってんねん

・・男子、形無しある。 東京生まれながら大阪弁に惚れ抜いた。 

そんな 島田さんが81歳で亡くなった。

6年前にガンを手術した。

病への恐怖を表したのだろう、昨秋 頂戴した新詩集に次の作があった。

   滝は滝になりたくてなったのではない

  落ちなければならないことなど

  崖っぷちに来るまで知らなかったのだ

  しかし まっさかさまに 落ちて落ちて落ちて たたきつけられた奈落に

  思いがけない平安が待っていた  新しい旅も用意されていた

  岩を縫って川は再び走りはじめる

・・・昭和の応援歌を書いた人が残した、震災後日本への励ましに思えてならない。